宮崎県バイク旅 石巻市震災遺構門脇小学校
前回の旅は女川町から気仙沼を巡る旅でした。
そして今回は石巻市にある震災遺構の門脇小学校に行き、あの日ここで何が起きたのかを学びたいと思います。
注:本記事は津波の写真など震災に触れる話が出てきます。
・ブログに掲載されてる写真の利用に関しては施設から電話での了承を得ています。
宮城県の旅 4日目
宿泊していた快活CLUB 石巻中里店をチェックアウトして門脇小学校へ向かいます。
バイクで走ること8分ほどで到着。
石巻市震災遺構門脇小学校

ここでは震災の記録や教訓を伝承する震災遺構で、大人料金600円を支払うと中を見学できます。
それでは小学校の教室をさっそく見てみたいと思います。

こちらは4年生の教室として使われていましたが津波による火災で燃えました。
当時津波から避難した小学校の職員や保護者の話によるとあっという間に津波が来たそうです。

そしてその津波は家屋や車を壊し、火災を発生させました。

町が海に沈み、浮かぶ家や車は火柱を上げて燃えていたそうです。
そして避難が終わり小学校に戻るとそこには変わり果てた校舎の姿。

学校がこの様子なら無論、その付近に自分の家や実家がある場合は流されていると思われます。
何故なら最大高さ8mの津波が73㎢に渡り町を沈めてるからです。
記録された数字以上に上空から見る景色がその悲惨さを物語っています。

町は変わり果てた様子ですが、悪い話ばかりではありません。
当時の学校の先生方が地震発生時に避難訓練通りにグランドまで生徒を集めて、津波を想定して体育館ではなく高台の裏山に避難したことにより生徒も先生もみんな無事でした。
これが津波を想定しないで体育館にずっといた場合確実に津波に飲まれていたと思われます。
そして避難中に保護者からの連絡で子供を家に帰して欲しいとの連絡がありましたが、先生たちは津波の避難場所に指定された裏山にある神社で子供を引き渡すことを約束した結果、保護者も生徒の命も救うことができました。
あの時に連絡があった保護者の元に子供を返していた場合、早退などの理由で学校に居合わせなかった生徒たちのようにみんな亡くなってしまっていたかもしれません。
地震発生前に下校した生徒が亡くなられたことは非常に残念なことではありますが、結果としては多くの命を救った先生方は本当に優秀で素晴らしい判断をしたと思います。
私は施設を一通り回り終えたところで最後に訪れた方向けのアンケートを書いて小学校を後にしました。
私が学んだこと

私は海の近くに住んでいないのもあって今まで津波が来たら車に乗って遠くに逃げようと思ってましたが、津波のスピードと町の混乱状態の中ではそれは厳しく、高台へ避難するのが一番なんだなと知りました。
そして鉄筋コンクリートの建物でも結局は火災による被害を受けるので、海が近い場所に宿泊する際は独自の判断ではなく予め避難場所を事前に確認しようと思いました。
その他に私が学んだ事の中でも社会全体を通して対策を考えないといけないことが一つあります。
それは今回助からなかった人の中に聴覚障害者が多くいたことです。
彼らは防災無線の警報が鳴っても聞こえないため、ずっと家で家族が帰ってくるのを待ちながら津波に飲まれ遺体となって発見されています。
このようなことが二度と起きてほしくないので、警報システムと連動したスマホアプリの開発をしてバイブレーションと画面で伝えるなど対策を取れたらと思います。
改め、3.11の津波で亡くなられた方にご冥福をお祈りいたします。